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2007年09月27日

●日本を愛して生きた先人

今日、青山一丁目で午後アポイントメントが終わってから、次の六本木のアポイントメントまで若干時間があったので、六本木まで歩いていくことにした。

目的は、前々から行こうと思いながら行けていなかった「旧乃木邸」を訪れるため。
 
 

 
 
幕末に生まれ、戊辰戦争そして2度の国外戦争(日清戦争・日露戦争)を駆け抜けた軍人・乃木希典大将の邸宅が今も残されている。
(※ちなみに「乃木坂」は、この乃木大将にちなんで付けられている)

吉田松陰の叔父である玉木文之進に育てられ、人格者として陸軍兵卒から慕われるのみならず、明治天皇からも愛されて退役後は学習院の学長を務め、明治天皇逝去後は夫婦で後を追って自殺し(世間では殉死と言われた)、“日本最後の武士”と呼ばれた軍人。
 
 

 
併設された乃木神社に遺品と共に展示されているは自刃に使った刀
 
 
司馬遼太郎の著書で、ビジネスマンならほとんどの人が読んでいる『坂の上の雲』でも書かれているように、日露戦争における旅順戦線において、幾度と要塞突撃を繰り返して大量の死傷者を出し“無能指揮官”と評価する人も多い。

旅順沿海に居る海軍からの度重なる依頼を受けながらも、戦勝の決め手となった二〇三高地の攻略を積極的に実行しなかった点は責めを負う点かもしれないが、それは全て結果論であって、しかも歴史上の出来事であり時代を遡ってその現場に居合わせなければ実際の状況は誰にも分からない。

当時の日本陸軍にとって初めて経験する近代要塞攻略で、かつ陸軍全体的に火砲戦力や戦略というものに対しての意識が低く“精神力”や“神の国”的な肉弾戦を中心としたスタイル(しかも、これは第2次世界大戦まで続いていると思う)であった以上、乃木大将ではなく他の指揮官が担当していても同じ結果になったかもしれない。

軍人・乃木希典の評価は別として、人格者・乃木希典として誰も異を唱えない点については評価に値すると思う。
 
 

 
マッカーサー元帥が帰国前に訪れ、乃木邸の裏庭に植えた木
 
 
世界で評価を浴びた新渡戸稲造の『武士道』から、近年ベストセラーになった藤原正彦の『国家の品格』にも共通すると思うが、日本人が“日本人らしさ”を失いつつある現在、今一度、明治を生きた乃木大将の生き方は注目されるべきかもしれない。

乃木大将だけでなく、江戸幕府終焉後の明治において初めて“国家”というものに対峙しながらも、外敵から国そして家族を守るために出征して戦った当時の日本人の“自分の国を誇りに思い愛する心”が、現代日本人においては薄れてしまっているのは紛れもない事実だと思う。

現代において愛国主義的な発言は確かに過激的行動を取る人も居るため疎んじられる傾向にあるが、そうした極端なものではなく自己内面における“自分の国を誇りに思い愛する心”が大切なのであって、今この国際社会で日本人として生きていく上でも一番大切なものではないだろうか。

アイデンティティのない人は誰からも相手にされないのと同様、自分の祖先が育みそして自分が生まれ育った国を愛することが出来ず国の伝統や歴史そして社会(政治・経済・環境など諸分野)について無関心な人は国際社会において相手にされないと思う。

旧乃木邸を訪れて、今一度そう認識したひとときだった。

2007年09月25日

●アジア社会

8月中旬からミャンマーで起こった反政府抗議運動は、9月に入ってから規模が拡大し、軍隊との衝突が起こってきた。

今回の抗議運動に際して、今年3月に青山通りを歩いているときに日本在住ミャンマー人の方々によるデモ運動に遭遇したことを思い出した。

200703myanmar_demo.JPG
 
 
学生時代、海外を放浪旅する中で、アジアのほとんどの国は訪れた。

ミャンマーもその国々の中の一つで、2週間かけて1周した思い出深い国だ。

軍事政権国家で民主主義政治ではなく、アウン・サン・スー・チーさん軟禁で批判を浴び経済制裁も受けている国だが、そこで暮らす人々は従順な仏教徒でとても心暖かく、世界で最も日本人に近い国民性を持ち合わせている人々であると感じた。

今後、日本の高齢社会が進み、労働力減少の解決という面で移民政策が為されるのであれば、ミャンマー出身の人々が最も日本人に受け入れられやすいのではないかと思う。

そうした穏和な人々が積極的行動に出るとき、その背景には説明するに難い諸々の積もり積もった問題がある。

一刻も早くミャンマーの人々にとって良い体制になり、経済制裁なども解除されて、早くアジア社会の一員として復帰して欲しいと願うばかりだ。
 
 
世界のどの地域にも言えることだが、アジアには複雑な問題が山積みである。
 
19世紀から始まる帝国主義を受けて、その列強諸国の利権政策により分断され、その中で20世紀に日本はロシアの南下政策から自国を守るために日清戦争・日露戦争を経て自らも列強入りし、それがエスカレートして米国からの圧力に対抗するため太平洋戦争へと突入し、その戦いの舞台としてアジア諸国が巻き込まれた。

20世紀後半は、アメリカを盟主とする資本主義陣営とソ連を盟主とする共産主義陣営の戦いにより、朝鮮戦争やベトナム戦争が起こり、カンボジアでポルポト政権による動乱に代表される国内問題が起きたりと、まさに戦争の1世紀を経験した。

戦争を手段に用いてしまえば、その主張する正義は当事者それぞれの正義に過ぎない。そして結果的に勝者が正義となってしまうのだが、それは全て利己主義から出たものだと思う。
 
自分たちの主義は正しい、自分たちの宗派は正しい、自分たちの民族は正しい、こうした利己的思い込みが戦争を正当化させ、人間を盲目にする。
 
大体の戦争は、当事者となる国の一部の権力者によって引き起こされるもので、最大の犠牲者は巻き込まれる民衆、そして特に無力な子供達であると思う。
 
 
21世紀は20世紀の過ちを繰り返してはいけないし、逆に諸々の問題を一つ一つ解決(歴史上の禍根は消えないが前に向けての新たな一歩の積み重ねが必要だ)して、より良い社会の発展へとつなげていかなければならない。

アジア社会の一員としての日本は、確かに経済面(それを支える技術力や諸々のインフラ)ではアジア諸国に貢献できる力があると思う。

しかしながら、アジア諸国やそこで暮らす人々への理解(理解しようとする姿勢)そこで起きている諸問題への関心という面では、まだまだ十分とは言えない。

実際、これだけ海外旅行が身近になり、各国料理のレストランも人気でありながら、その背景にある文化や人への関心はとても薄い。
 
これから日本という国そして日本人が、国際社会に貢献し共に成長していくためには、まず近隣諸国からなるアジア社会に対する理解が欠かせない。

このままだと、どれだけ欧米諸国との関係を深めようと必ず孤立してしまう。

自分自身、日本のため、そして結果アジアのため世界のためになるようなことを、身近なところから周りの仲間と共に活動していければと思う。


 
 
学生時代、アジア諸国を旅して回って現地の人々にとても温かくして頂いた。
 
ミャンマーで何度も通った食堂で世話を焼いてくれたお姉さん、ひとり寂しく屋台で飲んでいたら宴会に交ぜてくれたベトナムのお兄さん達、最終列車で町の駅に到着し暗闇の中を途方に暮れていたらバイクの後ろに乗せてくれ宿まで送ってくれた中国の親父さん、数え切れない程の優しさと親切に出会った。
 
少し企業宣伝にもなってしまうが、そうした恩返しの意味合いも兼ねて、日本で暮らすアジアの人々の留学生活や仕事をサポートでき、かつそれが日本人(社会そして企業)のアジア理解につながればと思い、グループ子会社である株式会社ヒューマネイジアで在日アジア人の方々に情報提供が出来るコミュニティサイトを立ち上げた。
 
 
Asineer(エイジニア)
 
Workinasia(ワーキネイジア)
  
Campusasia(キャンパスエイジア) 
 
 
日本で暮らすアジア出身の方々の情報交換や交流に役立てて頂き、そして我々として企業活動を通して生活やキャリアの面で役に立てればと思う。

来年には英語版と各国語版に言語対応させて、日本在住という範囲を超えてアジア全域の人々に利用してもらえる情報サービスを提供出来ればと考えている。
 
 
 
これらを作ってくれたのは袁(エン)さん。
 
中国の理系分野における大学としてトップクラスの名門・上海交通大学の出身で、無理難題を受けながらも、いつも笑顔で実現してくれるITエンジニア。
 
 

 
 
今日は上記サイト構築の慰労会ということで、袁さんに「昭和の日本が感じられる店にお連れします」と『おか吉』に飲みに行った。
 
「中国では相手が潰れるほど飲んでもらわないとホストとして満足させたことにならない」と、ある意味間違った文化説明を持ち出し、次から次に袁さんに酒を注ぎ、2人でかなりの本数の日本酒を熱燗であけたのだが、こちらが潰れて終了。
 
潰れたまま帰りの電車で寝てしまい、降り過ごして目が覚めるや僻地の駅。そこからタクシーで帰る羽目になった・・・。
 
 
袁さん、遅くまでお疲れ様でした。
 
一緒にアジアを盛り上げていきましょう。