2007年12月14日

●よかとこ福岡&ビジョナリーカンパニー

福岡出張3日目(最終日)、Jスタイル小村さんにお誘い頂いて忘年会。
 
お店はフランスのシラク前大統領も訪れたという「鳥善 大名店」。

御一緒頂いたのはココシスの岡部会長&釘宮取締役およびスタッフの方、そしてペーパーカンパニーの中村社長。


ココシスさんは「組織の力を最大化させること」=「個々の力を最大限に発揮できる環境を作ること」という、当たり前ながら多くの会社にとって実現が難しい(もしくは軽視されている)ことを、多くの企業で形骸化しがちな日々の朝礼やクレドなどを用いて実現に力を入れられていることで有名な会社。

福岡のネットTV「カウTV」を見ると同社のあり方や経営メンバーの皆さんの理念が垣間見られる。


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岡部さんと釘宮さんの会話のコンビネーションは漫才コンビ並みに抜群で、宴席は終始笑いの連続。

その話の中からも企業経営において忘れられがちな大切なものを沢山学ばせて頂いた。


福岡での水炊き体験は今回で2回目。

今回は柚胡椒を薬味にして頂く鳥刺にもハマッた。

福岡は美味しいものが沢山あるとつくづく感じさせられる。
 
 
 
お店を出たあとココシスさんのオフィスへ立ち寄らせて頂いた。



 
岡部さんに同社コンサルのイントロダクションビデオを見せて頂いた
 
 
 
その後、岡部さんと同社の橋口さんに深夜まで開いているスペインBarへ連れて行って頂き、色々とお話させて頂いた。

そして夜中2時解散。


宿泊ホテルが近かったので歩いて帰ったのだが、途中せっかくなので屋台で1人ラーメン。

今回も“よかとこ福岡”を満喫させて頂いた。


皆さん、本当にありがとうございました。
 

2007年12月08日

●バイクカスタム&革ジャン

学生時代、海外放浪旅とは別にバイト代を注ぎ込んだものがバイクだった。

おそらくバイクを養っていたと言っても過言ではないと思う。

“バイカー”というか“バイク乗り”というか、朝から晩までバイクをバラして組み立てたり、パーツを買ってきてはカスタムしたり、かなりの想いをつぎこんだ対象だった。

YAMAHAのSR400をイギリス旧車風にカスタムし、夏も冬も、晴の日も雨の日も、何処へ行くにも乗り回していた。

シングル(単気筒)かつマフラーも変えていたため、「ドドドドドドン」という排気音はかなりの音量で、キックでエンジンに火を入れるや周囲の人達の視線を一斉に集めていた。
(※友達曰く、家に到着する2-3分前には遠くから音が聞こえ始め「あ、来た」と分かるらしい)


当時、彼女が「私もエンジンかけてみたい」と言うので、エンジンをかけさせてあげたことがあったが、キックをすると同時にバランスを崩してバイクもろとも倒れた。
 
瞬間「あーっ!」と駈け寄てはバイクを起こし、路上に倒れ込み膝から血を流す彼女ではなくバイクに傷や故障がないか入念に調べる自分に対し、彼女は「このバイク馬鹿!ほんまに壊したろかっ!」と激怒していたのは今となっては懐かしい想い出だ。


そのようなバイク熱だったので、バイク雑誌にも何度か取り上げられたこともあった。
 
 

 
某バイク雑誌の掲載ページ(※8年前の若かりし頃)
 
 
当時、「将来はバイク乗りが集まるガレージ併設のカフェ&バーを経営しよう」と本気で考えていたものだ。
 
 
 
そんなバイク馬鹿にとっては天職かもしれないが、我がエクスドリーム株式会社より、バイクカスタムパーツを販売するEC企業「零カスタム」へ資本参加(出資)をさせて頂いた。
 
 
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バイク馬鹿として、2011年の上場に向けて同社成長の起爆剤になれればと思う。
 
 
 
そういえば、これもまた偶然バイク絡みになるが、創業70年を誇る革ジャンの老舗「KADOYA(カドヤ)」の3代目である深野さん(同社の専務取締役)と先日あるきっかけで知り合った。
 
 
カドヤさんでは革ジャンクリーニングのサービスも展開しており、プロの技術と設備によって革ジャンを洗濯してもらえる。

実は愛用のLewisLeather(ルイスレザー)の革ジャンは学生時代にイギリスで購入したビンテージ物(店のオーナー曰く1972年物)なのだが、かなり革の状態が悪くなってきており、レザージャケットの手入は素人ではお手上げで困っていたところだった。


先日カドヤ本店にお邪魔して深野さんに革ジャンを預け、待つこと数日。
 
「仕上がりました」との御連絡を受けてお伺いすると、そこには生まれ変わった我がLewisLeather(ルイスレザー)が。
 
 

 
革ジャンクリーニング前
 
 

 
革ジャンクリーニング後
 
 
「革に栄養分も入れておきました」という深野さんの言葉の通り、あれほど固くなっていた革の状態が見違えるように柔らかく生まれ変わっていた。
 
 
カドヤさんでは購入して頂いたお客様はもちろんのこと、レザージャケットを愛用する全ての人のサポートをさせて頂きたいということで、革ジャンのクリーニングだけでなくリフォーム(修理)もされている。
 
本当にいいものを作り、それを良い状態で後世に残すという想いが伝わってくる。
 
 
 
今後、カドヤさんとも色々とお仕事をさせて頂くことになりそうで、バイク馬鹿もそれなりに色々と役に立てるのかもしれない。
 
ふと昔のバイク熱を思い出しながら、それがまた再燃してきそうな予感がした今日この頃である。

2007年11月01日

●福岡出張

父方も母方も田舎が大分なので、プライベートでは何度か来たことがあるが、出張での福岡は生まれた初めて。
 
明日の朝から数社様とアポイントメントを頂いているので、今日の夕方に福岡入り。
 
 
今夜は弊社パートナー企業であるユニゾンシステムズの役員である今村さんと森さんが宴席を設けて下さり、福岡の美味しい食と酒を堪能させて頂いた。
 
 
1軒目は創業55年の水炊きの老舗「いろは」。芸能人やスポーツ選手など著名人の方々も数多く訪れる名店だそうで、店内廊下の壁には沢山のサイン入り色紙が貼られている。
 
これまで水炊きが博多に歴史的起源をもつ料理だとは知らないまま生きてきたが、「水炊きとは何たるか」を学ばせて頂いた気がする。

付け出しの「酢もつ」が絶品でハマってしまい、今村さんがお代わりの注文をして下さり、酢もつも心ゆくまで食させて頂いた。
 
 
2軒目は「Bar Higuchi」で食後の語らい。

このお店は生姜を漬け込んだウォッカで作られるモスコミュールが名物メニューで、店内の壁には生姜が漬け込まれたウォッカの瓶がずらりと並んでいる。
 
今村さんと森さんの昔の話やユニゾンシステムズ創成期の話を聞かせて頂きながら、今まで経験したことのないモスコミュールの味を堪能させて頂いた。
 
 
そして3軒目はお待ちかねの夜食、博多ラーメンで「一竜」へ。
 
東京では食べられない博多ラーメンの味。
 
 
実は風邪をひいて、昼に立ち上がることが出来ない状態にまで悪化したのだが、博多の栄養食のお陰でかなり回復した。
 
 

 
博多は食の街。空港内の広告に「よかとこ福岡」と書かれていたが、本当に“よかとこ”だと改めて思った。
 
 
 
今村さん、森さん、今夜はありがとうございました。
 

2007年10月24日

●Jスタイル小村社長

Jスタイル社長の小村さんから会食のお誘いを頂き、お酒を飲みながら色々とお話をさせて頂いた。

小村さんはJIMOSの創業者で、今年6月までサイバードホールディングスの代表取締役会長を務められていた方。

7月からは株式会社Jスタイルを設立され、新たな事業を構築されている。
 

Jスタイルの“J”は日本。

日本が誇るものづくり(商品)や精神(サービス)を日本人として今一度見直すきっかけを生み出し、社会に浸透させることで、後世に受け継がれ、また世界へ伝える仕組みを創り出そうとされている。

この部分で小村さんが掲げられているビジョンと、我々エクスドリームインターナショナルが掲げている「日本を世界に発信する」というビジョンは相通ずるものがある。


日本におけるものづくり社会では、作り手の立場が弱い。

これは工業、アパレル、農業などあらゆる分野に言えることだと思う。

日本のものづくりのすごさを今一度社会に発信しようと、関西のものづくり拠点である東大阪市から宇宙事業をと、町工場の技術を結集して人工衛星プロジェクトをされていることで有名な株式会社アオキ青木社長のお話を先日お伺いしてとても感動した(「頑張ろう!」と手が痺れるほど強い握手にも・・・)が、青木さんのような活動を他の業界でも推進していく必要があると思う。


なぜ日本のものづくりの世界で作り手が減っているのかと言うと、資金負担(立場が弱いため入金サイトが長い)や金融機関による貸し剥がし、また後継者となる若者が少ないなど様々な問題があるのだと思うが、自分としては「“価値”の伝達と理解」が欠けていることがこうした様々な問題の起因になっていると考えている。

作り手はものづくりの技術やその素晴らしさのブランディングや、それを伝えるためのプロモーションが不足している。

また、買い手もその価値に対する理解が不足していたり、そこに価値を見出さなかったりすることから、そのものづくりへの適正な対価を支払うことをしていない。より安く買い叩こうとしたり、より安い商品に飛びついてしまう。

これを解決する施策が、「マーケティング」(買い手に正しく価値を認識してもらい購入してもらう)だと思う。


小村さんが新たに創られようとしている事業は、この部分を解決するソリューションだと思うし、我々エクスドリームインターナショナルが手掛けようとしている領域も、このためのマーケティングに他ならない。
 
現代社会は実体経済から懸離れて膨張した経済となりつつあるが、皆が冷静になった瞬間に「チューリップバブル」のようなことが起こり、そのとき初めて“ものを作り出す”ことを軽んじて生活してきた人々は大きな竹篦返しを食らうことになる。
 
今の日本の食料自給率は第2次世界大戦時を下回るというが、それは農地法などの問題もあると思うが何よりも“ものを作り出す”ことに価値を認めてこなかった風潮が一番の原因だと思う。
 
今一度、人々がものづくりに価値を見出し、その価値に対して理解を示すことが求められている。
 
 

小村さんからは経営者の先輩として色々と示唆に富むお話を聞かせて頂いた。
 
その中で感じたのは、「何かを得ると、必ず失うものがある」ということ。
 
「知ってしまうと出来ないと思うことが、知らないからこそ出来る」と小村さんは仰っていたが、かなり腑に落ちる言葉だった。
 
人間、確かに限界というものをある意味自分の経験や知識から定めてしまいがちで、これは無意識の間に作ってしまう。
 
若輩だからこそある程度許されることもあると思うし、経験と知識が少ないからこそ飛び込めることもある。

ビハインドを逆にアドバンテージに変えて邁進していこうと決意させられた。
 
 
 
来週後半は福岡出張。
 
小村さんに教えて頂いたお薦めのラーメン屋へ行くのが楽しみだ。
 
 
 
小村さん、今日は本当にありがとうございました。
 

2007年10月08日

●ImaiHiroki(イマイヒロキ)

昨日、ImaiHirokiイマイヒロキ)の靴職人、今井さんから突然小包が届いた。

開けてみると、中は立派な栗。



 
 
今井さんの工房(山に囲まれた空気の美味しい所です)の裏山で栗が採れるので、送って下さったとのこと。
 
 
早速、栗御飯にして秋の味覚を堪能させて頂いた。
 
 

 
 
本日の主役である栗御飯と箸休めの付け合わせ
 
  
 
先日、今井さんから表参道ヒルズで日本タンナーズ協会が主催された『ベストレザーニスト』(「ベストジーニスト」のレザーファッション版?)のイベントにお招き頂いて、お伺いしてきた。

ベストレザーニストに選ばれたのは、女優の栗山千明さん

ベストレザーニスト授賞式の後、栗山千明さんと今井さんのトークイベントがあるとのことで、今井さんは上京。

会場にはImaiHiroki(イマイヒロキ)の靴がスポットライトを浴びて展示され、マスコミ関係者の方々の多数来場。



 
栗山千明さんの隣ながら、いつも通り冷静な今井さん


今井さんとは年に数回あるかないか、帰省する時にしか(お互い実家が隣接する市)お会い出来ないので、イベント終了後に飲みに行った。

東京発姫路行の最終新幹線が20:30ということで時間が限られているので、なんと17時というまだ日の明るい時間から、いい年した男2人が寿司屋で酒盛り。

お互いの夢というかビジョンというか、熱く語らいながら進むお酒。


話が盛り上がっているところで、ふと時計を見ると・・・、20時を回っている・・・。


「今井さん、マ、マズいっす・・・」と会計を済ませ、夜の渋谷の街を走り抜ける男2人。。。

が、東京駅に着いたのは20:33で、アウト。


「新大阪駅までは新幹線ありますので、とりあえず新大阪まで行って、そこから普通電車で帰ります」と、爽やかに東京駅の改札を通り抜ける姿を見送りながら、「次に上京されるときは、品川発の新幹線でお願いします」と願う自分が居た。


今井さん、先日はありがとうございました。
栗も美味しく頂きました。

2007年09月27日

●日本を愛して生きた先人

今日、青山一丁目で午後アポイントメントが終わってから、次の六本木のアポイントメントまで若干時間があったので、六本木まで歩いていくことにした。

目的は、前々から行こうと思いながら行けていなかった「旧乃木邸」を訪れるため。
 
 

 
 
幕末に生まれ、戊辰戦争そして2度の国外戦争(日清戦争・日露戦争)を駆け抜けた軍人・乃木希典大将の邸宅が今も残されている。
(※ちなみに「乃木坂」は、この乃木大将にちなんで付けられている)

吉田松陰の叔父である玉木文之進に育てられ、人格者として陸軍兵卒から慕われるのみならず、明治天皇からも愛されて退役後は学習院の学長を務め、明治天皇逝去後は夫婦で後を追って自殺し(世間では殉死と言われた)、“日本最後の武士”と呼ばれた軍人。
 
 

 
併設された乃木神社に遺品と共に展示されているは自刃に使った刀
 
 
司馬遼太郎の著書で、ビジネスマンならほとんどの人が読んでいる『坂の上の雲』でも書かれているように、日露戦争における旅順戦線において、幾度と要塞突撃を繰り返して大量の死傷者を出し“無能指揮官”と評価する人も多い。

旅順沿海に居る海軍からの度重なる依頼を受けながらも、戦勝の決め手となった二〇三高地の攻略を積極的に実行しなかった点は責めを負う点かもしれないが、それは全て結果論であって、しかも歴史上の出来事であり時代を遡ってその現場に居合わせなければ実際の状況は誰にも分からない。

当時の日本陸軍にとって初めて経験する近代要塞攻略で、かつ陸軍全体的に火砲戦力や戦略というものに対しての意識が低く“精神力”や“神の国”的な肉弾戦を中心としたスタイル(しかも、これは第2次世界大戦まで続いていると思う)であった以上、乃木大将ではなく他の指揮官が担当していても同じ結果になったかもしれない。

軍人・乃木希典の評価は別として、人格者・乃木希典として誰も異を唱えない点については評価に値すると思う。
 
 

 
マッカーサー元帥が帰国前に訪れ、乃木邸の裏庭に植えた木
 
 
世界で評価を浴びた新渡戸稲造の『武士道』から、近年ベストセラーになった藤原正彦の『国家の品格』にも共通すると思うが、日本人が“日本人らしさ”を失いつつある現在、今一度、明治を生きた乃木大将の生き方は注目されるべきかもしれない。

乃木大将だけでなく、江戸幕府終焉後の明治において初めて“国家”というものに対峙しながらも、外敵から国そして家族を守るために出征して戦った当時の日本人の“自分の国を誇りに思い愛する心”が、現代日本人においては薄れてしまっているのは紛れもない事実だと思う。

現代において愛国主義的な発言は確かに過激的行動を取る人も居るため疎んじられる傾向にあるが、そうした極端なものではなく自己内面における“自分の国を誇りに思い愛する心”が大切なのであって、今この国際社会で日本人として生きていく上でも一番大切なものではないだろうか。

アイデンティティのない人は誰からも相手にされないのと同様、自分の祖先が育みそして自分が生まれ育った国を愛することが出来ず国の伝統や歴史そして社会(政治・経済・環境など諸分野)について無関心な人は国際社会において相手にされないと思う。

旧乃木邸を訪れて、今一度そう認識したひとときだった。

2007年09月25日

●アジア社会

8月中旬からミャンマーで起こった反政府抗議運動は、9月に入ってから規模が拡大し、軍隊との衝突が起こってきた。

今回の抗議運動に際して、今年3月に青山通りを歩いているときに日本在住ミャンマー人の方々によるデモ運動に遭遇したことを思い出した。

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学生時代、海外を放浪旅する中で、アジアのほとんどの国は訪れた。

ミャンマーもその国々の中の一つで、2週間かけて1周した思い出深い国だ。

軍事政権国家で民主主義政治ではなく、アウン・サン・スー・チーさん軟禁で批判を浴び経済制裁も受けている国だが、そこで暮らす人々は従順な仏教徒でとても心暖かく、世界で最も日本人に近い国民性を持ち合わせている人々であると感じた。

今後、日本の高齢社会が進み、労働力減少の解決という面で移民政策が為されるのであれば、ミャンマー出身の人々が最も日本人に受け入れられやすいのではないかと思う。

そうした穏和な人々が積極的行動に出るとき、その背景には説明するに難い諸々の積もり積もった問題がある。

一刻も早くミャンマーの人々にとって良い体制になり、経済制裁なども解除されて、早くアジア社会の一員として復帰して欲しいと願うばかりだ。
 
 
世界のどの地域にも言えることだが、アジアには複雑な問題が山積みである。
 
19世紀から始まる帝国主義を受けて、その列強諸国の利権政策により分断され、その中で20世紀に日本はロシアの南下政策から自国を守るために日清戦争・日露戦争を経て自らも列強入りし、それがエスカレートして米国からの圧力に対抗するため太平洋戦争へと突入し、その戦いの舞台としてアジア諸国が巻き込まれた。

20世紀後半は、アメリカを盟主とする資本主義陣営とソ連を盟主とする共産主義陣営の戦いにより、朝鮮戦争やベトナム戦争が起こり、カンボジアでポルポト政権による動乱に代表される国内問題が起きたりと、まさに戦争の1世紀を経験した。

戦争を手段に用いてしまえば、その主張する正義は当事者それぞれの正義に過ぎない。そして結果的に勝者が正義となってしまうのだが、それは全て利己主義から出たものだと思う。
 
自分たちの主義は正しい、自分たちの宗派は正しい、自分たちの民族は正しい、こうした利己的思い込みが戦争を正当化させ、人間を盲目にする。
 
大体の戦争は、当事者となる国の一部の権力者によって引き起こされるもので、最大の犠牲者は巻き込まれる民衆、そして特に無力な子供達であると思う。
 
 
21世紀は20世紀の過ちを繰り返してはいけないし、逆に諸々の問題を一つ一つ解決(歴史上の禍根は消えないが前に向けての新たな一歩の積み重ねが必要だ)して、より良い社会の発展へとつなげていかなければならない。

アジア社会の一員としての日本は、確かに経済面(それを支える技術力や諸々のインフラ)ではアジア諸国に貢献できる力があると思う。

しかしながら、アジア諸国やそこで暮らす人々への理解(理解しようとする姿勢)そこで起きている諸問題への関心という面では、まだまだ十分とは言えない。

実際、これだけ海外旅行が身近になり、各国料理のレストランも人気でありながら、その背景にある文化や人への関心はとても薄い。
 
これから日本という国そして日本人が、国際社会に貢献し共に成長していくためには、まず近隣諸国からなるアジア社会に対する理解が欠かせない。

このままだと、どれだけ欧米諸国との関係を深めようと必ず孤立してしまう。

自分自身、日本のため、そして結果アジアのため世界のためになるようなことを、身近なところから周りの仲間と共に活動していければと思う。


 
 
学生時代、アジア諸国を旅して回って現地の人々にとても温かくして頂いた。
 
ミャンマーで何度も通った食堂で世話を焼いてくれたお姉さん、ひとり寂しく屋台で飲んでいたら宴会に交ぜてくれたベトナムのお兄さん達、最終列車で町の駅に到着し暗闇の中を途方に暮れていたらバイクの後ろに乗せてくれ宿まで送ってくれた中国の親父さん、数え切れない程の優しさと親切に出会った。
 
少し企業宣伝にもなってしまうが、そうした恩返しの意味合いも兼ねて、日本で暮らすアジアの人々の留学生活や仕事をサポートでき、かつそれが日本人(社会そして企業)のアジア理解につながればと思い、グループ子会社である株式会社ヒューマネイジアで在日アジア人の方々に情報提供が出来るコミュニティサイトを立ち上げた。
 
 
Asineer(エイジニア)
 
Workinasia(ワーキネイジア)
  
Campusasia(キャンパスエイジア) 
 
 
日本で暮らすアジア出身の方々の情報交換や交流に役立てて頂き、そして我々として企業活動を通して生活やキャリアの面で役に立てればと思う。

来年には英語版と各国語版に言語対応させて、日本在住という範囲を超えてアジア全域の人々に利用してもらえる情報サービスを提供出来ればと考えている。
 
 
 
これらを作ってくれたのは袁(エン)さん。
 
中国の理系分野における大学としてトップクラスの名門・上海交通大学の出身で、無理難題を受けながらも、いつも笑顔で実現してくれるITエンジニア。
 
 

 
 
今日は上記サイト構築の慰労会ということで、袁さんに「昭和の日本が感じられる店にお連れします」と『おか吉』に飲みに行った。
 
「中国では相手が潰れるほど飲んでもらわないとホストとして満足させたことにならない」と、ある意味間違った文化説明を持ち出し、次から次に袁さんに酒を注ぎ、2人でかなりの本数の日本酒を熱燗であけたのだが、こちらが潰れて終了。
 
潰れたまま帰りの電車で寝てしまい、降り過ごして目が覚めるや僻地の駅。そこからタクシーで帰る羽目になった・・・。
 
 
袁さん、遅くまでお疲れ様でした。
 
一緒にアジアを盛り上げていきましょう。

2007年08月17日

●第2子誕生

今日、第2子が生まれた。
女の子で、命名「ゆうい」。

長女「あさひ」は3歳8ヶ月になり、自分のやりたいことをやりたいようにさせて育てているので、自由奔放極まりない。

かつて保育園では、靴を「自分で履く」と言い張って先生を困らせ、避難訓練で園庭に出るのに20分かかって、一人だけ逃げ遅れたという伝説の持ち主。

周りの友人からは「おまえそのままやな・・・」と言われる。

かといって甘やかしているわけでもなく、人様に迷惑をかけることをしたり、筋の通らないわがままを言ったりした時には、星一徹並みの父親を演じている。


最近、よく子供がらみの事件を報じるニュースが多い。
子供を取り巻く世界がおかしいというより、子供を取り巻く大人の世界に問題があるように思う。

『国家の品格』でも触れられているが、子供に対する大人の態度が一昔に比べて明らかに変わった。


保育園に迎えに行くと、先生から「申し訳ございません!」と謝られることが多々ある。
怪我をした。友達と喧嘩して噛まれた。等々・・・。

遊べば転んで怪我もするだろうし、友達と喧嘩すれば噛まれたり髪を引っ張られるに決まっている。
そもそも、それが“子供”という人種だと思う。

こちらからすると何を謝られているのか、話を聞いてすぐに分からないことが多い。

理由を聞いて、「いいじゃないですか、そんなことくらい問題ないです。むしろ、生意気なこと言ったらビシバシしごいてやって下さい」と言うだけだ。


これは保育園に問題があるのではなく、過剰にクレームを言う親が最近増えていることに問題があるのではないかと思う。

学校でのいじめ自殺問題に関しても、学校の体質が槍玉に挙げられるが(実際、学校に責任や問題が無いわけではない)、一番の問題は親にあると思う。

そこまで子供が思い詰めている状況で、救ってあげるどころか気づいてもいない“親の無関心”と、その責任を学校に擦り付けることに現れている“親の無責任”に一番原因がある。

そのわりには子供に対して「こうしなさい」と言ったり、「こうなって欲しい」という思いから、受験を意識して私立の幼稚園や小学校へ入れたがる人が増えているような気がする。

本末転倒ではないだろうか。


親の役割というか責任は、子供がやりたいことが出来る環境を整えてあげ、道を外れそうになったら軌道修正してあげることだと思う。

そして人間として大切な心遣いを教えてあげること。

自分は子育ての経験者でもプロでもないが、そう思って子供に接している。


昔、自分が子供のころは悪さをすると、近所のおっちゃんやおはちゃんからの鉄拳を受けていた。

通学路でピンポンダッシュをした瞬間に、玄関からおばちゃんが出てきて家の中に引きずり込まれ、見知らぬ関係ながらその家の台所で説教を受けたこともある。

怒られた後、お菓子とジュースを出してくれたことが今でも記憶に残っている。


いいものはいい、悪いものは悪い、はっきりと言える人が少なくなった大人社会にこそ、今の子供社会の弊害の原因があるのではないだろうか。

ふとそんなことを思いながら、これから自分の子供が飛び込んでいく社会への不安と、なお一層の親として(そして大人として)の責任を感じた。


とりあえず、まだ2人の親。

「子供は多ければ多いほどいい」と周りに公言しているので、橋本弁護士(7人)やグロービス堀さん(5人)に負けないくらい子供は欲しいし、何らかの理由で親の愛情に恵まれない子供(日本人だけでなく世界から)も余力があれば引き取って育てたいと思う。

たぶん酒を飲みながら星一徹になっているだけだが、やりたいことをさせてあげ、悪いことは悪いと教えてあげればそれでいい。


子供に対する虐待は絶対に許されないことだが、躾のための節度ある体罰は必要だと思う。
その節度が分からない親や教師に問題があるのではないだろうか。

自分が小学校~中学校~高校のころは(大学では流石に無いが)、普通に先生から拳骨を受けていたし、それに対して愛情を感じなかったことは無い。

自分を鍛えるためにしてくれていたのだと思う。


まだまだこれから自分も親として、そして社会で責任ある大人として、更に自ら成長していかなければならない。
 

2007年07月31日

●同級生(どうきゅうせい)

上海に駐在している中学校の同級生・瀬戸田亜祐美が一時帰国していて、東京に来るとのことで会った。

彼女とは実家も近所で、中学校どころか幼稚園も同じで、小学校1・2年と同じクラスという、いわば20年以上前の同じ場所・同じ時間を共有していて今も付き合いがある不思議な関係。

今も家に遊びに来たりと、何かと結構会っている


いつも思うが、同級生とは不思議な存在だ。

確実に時は経過してお互いに年齢も重ねているのだけど、中学校の友人と会えば中学そのころと同じ感覚になるし、高校の友人と会えば高校そのころと同じ感覚になる。

昔聞いていた音楽を聴くと、そのころ感じていた気持ちを鮮明に思い出すのと何か似ている。

そして、これは自分だけかもしれないが、会っていなかった5年・10年とか全くブランクを感じない。

相手からは「おおっ、久しぶりやなぁ」と言われても、「あれ、そんなに久しぶりやっけ・・・」となるのが大抵のパターンだ。


今回、同じく中学校の同級生マツシ(松下)も交えて3人で飲んだのだが、マツシ曰く6年ぶりの再会とのこと。

お決まりの通り、「めっちゃ久しぶりやん!」という言葉に「あれ、そうやったっけ・・・」となり、感動の再会も何もない。

別に冷めているわけではなく、もともと友達との距離を作らない性格なので(なので何でもズバズバとストレートに言うことが多いと思う)、離れている友達であろうが、一緒に何かしている友達であろうが、あまり距離は変わらない。

再会すれば、あたかも昨日会っていたかのような感じで話をしている自分がいる。
 
 

  
松下尚人&瀬戸田亜祐実
 
 
でも友達とこうして会って、近況を話しながら昔の想い出話や共通の友達の話、故郷の話をするのは何よりの酒の肴かもしれない。

最近激務で、しかもここ2週間ほど胃が痛くて胃カメラを飲んだら少し穴が空いていたので、ほとんど料理も食べずウーロン茶を飲んでいたので、2人には心配されながらも良い息抜きになった。


同級生は皆いろいろと自分と違う世界で生きていて面白い。
 
しかも学生時代から海外に出ている同級生が多かったので、海外に行って泊めてもらうことが多かった。

上海には2001年を最後に行っていないのだが、上海では彼女が泊めてくれるとのことなので、近々行きたいと思う。


そういえば、これまた中学の同級生に女子バスケ部の女友達がいるのだが、ホテル経営学を学ぶべくハワイの大学に留学していた。学生時代に「ちょっと遊びに行くわ」と訪問し、ワンルームマンションにも関わらず部屋の片隅の床を寝床にさせてもらいながら、毎日サーフィンに明け暮れて1ヶ月近く滞在した(住み付いたという方が正しい)。

当時、彼女はスウェーデン人の彼氏と一緒に住んでいたのだが、何故か日本から謎の旅人が現れ、しかもワンルームなのに1ヶ月も部屋に居ついて、普通気を遣うのだろうが、今考えると(というか考えなくても)相当邪魔になっていたことに違いはない。

その彼氏とは意気投合し、朝・昼・晩と酒を飲みながら語らう仲になったのだが、やはり邪魔者が恋人同士の関係に影響を与えたのか、その後2人は別れたらしい。

彼女は中学生時代からの夢であるホテルウーマンとなり、バンコクの一流ホテルに勤務した後、日本のホテルに移り、日本の人と結婚した。


同様のケースを繰り返しては申し訳ない、と思いきや、「あたしんち広いから、上海来たら全然泊まったらええで」とのこと。

瀬戸田亜祐美、現在彼氏募集中だそうです。

上海に行かれるジェントルマンには現地でアテンドしてくれるそうなので、ぜひ御一報下を。

2007年07月06日

●元・mixi(ミクシィ)塚田取締役

ミクシィの取締役だった塚田くんが6月末の株主総会で退任され、新たな道を歩み始めるとのことで、安藤くんドリコム取締役)から誘われ、3人で壮行会。
 
「夏の夜の男の語らいはアウトドアでビールだな」と『森のビアガーデン』を希望していたのだが、安藤くんより「すいません、8月の終わりまで金曜の予約は満席とのことでした!」とのことで、いつもどおり恵比寿で焼肉という流れに。


安藤幹事が予約したお店は『チャンピオン』

予約時間の21:00に行くと、店の前で「添田さーん、こっちでーすっ!」とハイテンションな安藤くん。しかも、顔が真っ赤で何故かろれつが回ってない・・・。

「ドリコム新入社員の配属が決まって、その飲み会があったんで2軒目です!」とのこと。
(※なので我々との1杯目の乾杯からサワーを注文)
 
 
 
ツカダンナも到着し、焼肉スタート。
 
 
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一応は主賓なのに肉焼き担当のツカダンナ
 
 
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スタート時から既に泥酔に近い安藤くん
 
 
そういえば、2人と初めて出会ったのは3年前の同じ夏の日。

あれから3年が経つんですね。


ツカダンナは株式会社ミクシィの前身である株式会社イーマーキュリーの創生期から事業参画し、これまで会社の成長に心血を注いできた男。

これからしばらく中田英寿さんのように旅に出て、次はソーシャルアントレプレナー(社会起業家)として社会貢献性の高い事業を手掛けていくとのこと。
 
焼肉が焦げるのが気になりながらも(2,000~3,000円以上/100g・・・)箸を微動だにせず、熱く語るツカダンナの言葉に酔いしれる安藤と添田。
 
そういえば、こんなに真面目なツカダンナを見たのは初めてかも。
 
いよいよ男「塚田」始動。人生の華を咲かせて欲しい。
 
 

ツカダンナの語りが終わった後は、いつも通りの雰囲気で終始笑い話。
 
が、途中で先程の人生論の影響からか「なぜ今ここに居るのか」という話題になり、学生時代から今に至るまでの話。
 
そこで1つの奇縁を発見。

①「3人とも法の道を志す」
塚田:東京大学法学部
安藤:京都大学法学部
添田:大阪大学法学部

②「親の期待する道を踏み外す」
塚田:現在ニート
安藤:ベンチャー
添田:ベンチャー
(※前者2名は株式上場で個人資産にして数十億円あるから親の心配は払拭済だが)
 

人生いろいろあるが、人の出会いは必然とも言う。
 
「これからの人生において一緒にどのような価値を社会に対して創り出せるか」共に考え挑戦していきたい。


 

2007年06月21日

●米国ZenShinCapitalPartners森さん

米国シリコンバレーのベンチャーキャピタルZenShinCapitalPartnersの森さんが来日(帰国?)されるとのことで、お誘いを受け会食。
 
 
場所は銀座の老舗『菊川』
 
高級ブティックのビルが居並ぶ合間に細い路地があり、そこを入っていくと現れる昔ながら木造2階建ての隠れ家的なお店。
 
 
女将さんに2階の個室へ案内され、森さんと御対面。
(※実は森さんとはお初にお目にかかります)

せっかくなので、シリコンバレー大好きな小太郎くんフラクタリスト副社長)も同伴させて頂きました。
 
 
国内外問わず色々な事業を手掛けられている投資家の安井さんと田中さんを森さんからご紹介頂き、5人での酒宴。
 
 
美味しい料理とお酒を頂きながら、終始ビジネスの話。
 
話をしながら森さんが終始メモを取られているのが印象的だった。

ビジネスマンとしてはとても大切な習慣。
意識して心掛けたいと思います。
 
 
皆それぞれバックグラウンドが異なり経験と見識が深いので、話が多岐に渡り面白い。
 
 
「この分野における米国のネットビジネスは・・・」
「マレーシアのクアラルンプールで・・・」
「来週からドバイである投資家と・・・」
「友達が●●●●(某有名高級外車メーカー)を買収したので・・・」
e.t.c.
 
 
日本にとどまらず世界を視野に事業を展開する面白さを、改めて感じる時間だった。
 
そのための土台を一歩一歩創り上げたいと思う。
 
 
安井さん、御馳走になりまして恐縮です。
ありがとうございました。

2007年06月03日

●逗子

スタイルクリエーションズ副社長の葉山さんから「今度ランチしましょう」と言われ、
 
「では、休日に逗子で地魚料理にしましょう」という話で決まったランチ企画。


葉山夫妻、吉岡夫妻、添田家の3家族で、地元の名店『ゆうき食堂』へ。


前回、「生しらす」で爆弾を踏んだ(多すぎて食べきれず)が、懲りずに「生しらす」を注文。
 
その他「あじ」「まぐろ」「かつお」「たこ」など含め刺身を10品ほど注文し、

しかも「何でここに来てラーメン食うねん」と吉岡の批判を浴びながら、ラーメンも注文しテーブルに乗らない始末。


相変わらず潮風を浴びながら(店の前の屋外テーブル)食べる魚は美味しい。
 
やはり青空の下で飲むビールは格別。
(※昼間から1人だけ飲んですみませんでした。。。)
 
 
 
食後、海の近くのテラスでのんびりとコーヒー。
 
 

 
吉岡、そして葉山さん
 
 
 
近くに海がある生活の良さを改めて感じる1日でした。


2007年05月29日

●仙台出張

今日は新幹線で仙台へ出張。

実は「伊達政宗」「牛タン」という乏しい知識ながら、生まれて初めて降り立つ仙台の地。


お昼前に到着し、訪問先企業の社長と会食。
 
「添田さんのブログでお寿司が好きとのことでしたので、御用意させて頂きました」と役員の方。

宮城県の近海で取れる新鮮なお魚のお寿司を頂きました。


午後は、社長以下、役員の方々20数名を前に3時間弱に及ぶプレゼン。
 
色々と議論を交じわせながら、時に笑いありと、充実した時間になって一安心。
 
夕方、専務さんや担当役員の方々と個別にお話をさせて頂き、本日のミッション終了。
 
 
 
夜は、担当役員の方に地元の名店で席を設けて頂き、宮城県の海の幸・山の幸、そしてお酒に舌鼓。
 
  
070529sendai.JPG
 
 
お世辞ではなく、こんなに美味しい山菜を食べたのは初めて。

しかも水が違うのか、地酒が格別。


充実した1日を頂いて本当に感謝の気持ちで一杯。

最終の新幹線で帰宅。


街並みはタクシー車内からしか見れなかったが、食べ物だけで仙台の良さを感じた。
 
次は史跡などにも足を運んでみたい。

2007年04月23日

●職人技(しょくにんわざ)

今日は実家(兵庫県加古川市)から車で高速を飛ばし、朝一で神戸市へ。
 
現在、神戸で新事業展開を検討しており、神戸市さんおよび兵庫県さんのバックアップも頂こうと、産業振興局の御担当者様を訪問。
 
神戸市は企業誘致に力を入れており、経営サポートや制度融資から、助成金、オフィス提供やファンドによる企業投資など、様々な支援制度がある。
 
昨年、海外の某有名企業の日本法人を合弁で設立しようとした際に、日本全国の地方自治体様にお声掛けをして、資料を頂いたり面談をさせて頂いたりと色々とお世話になったのだが、その際に圧倒的な支援制度を持たれていたのが神戸市&兵庫県の連合だった。
 
自分の出身県でもあり、神戸市は出身の加古川市と近く昔から馴染みのある土地ということもあり、それを機に兵庫県人会の集まりに参加させて頂いたりと、神戸市と兵庫県の御担当者の方々とは何かと仲良くさせている。
 
今回もベンチャービジネス向け支援プログラムについて色々な情報を頂き、とても親切にして頂いた。
 
ふるさと兵庫県に事業を通じて貢献できれば、とても嬉しい。
 
 
 
神戸での面談の後は、その足でまた高速を飛ばして次は姫路へ。
 
新幹線で姫路に到着する迫田さん(シャツ職人、三代目迫田宗左衛門氏)を姫路駅でひろって、今井さん(靴職人、ImaiHiroki)の工房へ。
 
今年に入ってから迫田さんは出張で毎週東京に居るので、最近はよく会って飲みながら語らうことが多い。
 
今井さんとは実家に帰る度に遊びに行かせて頂いている。 

迫田さんには前々から「僕、いっぺん今井さんと会って話したいんですわ。前からImaiHirokiの靴が欲しい思ってまして」と言われていたので、「ちょうど今井さんのところに行くので一緒にどうですか」と誘って、遂に実現。
 
 
昼過ぎに今井さんの工房に着き、近くの丘の上にある素敵なレストランでランチを御馳走になる。
 
迫田さんは職人同士でウマが合うのだろう、今井さんと会ってから延々とマシンガントークを続けている。
 
その後、今井さんの工房に長居すること6時間・・・。
 
 
途中、今井さんのお母さんが何度もお茶やコーヒーを入れてきて下さった。
 
今井さんのお母さんはとても気さくな方で、いつも和まされる。
 
お姉さんも親切な方で、昨年「PATRICK」のスニーカーをプレゼントして下さった。
 
2人並ぶと姉妹のようなお母さんとお姉さんである。
 
 
 

 
念願の靴をオーダーする迫田さん
(※この時点で2足オーダー)
 
 
さすが職人同士、相手の作るものに興味津々で質問攻めの連続と、職人世界の話で大盛上り。
 
お二人を見ていて「自分でモノを作ることが出来るって羨ましいな」と思った。
 
 
 
職人技はとても尊い。
 
人から人へと受け継がれていくもので、決して機械では受け継げない。
 
そのため、機械生産の波を受けて、その尊い職人技が年々途絶えていっているのが実情。
 
職人技を守るためには、その良さを人に伝え、そして後世に受け継がれるような仕組みづくりが必要。
 
自分が今後、その一助になれたらと思う。
  
 
 

 
今日は誘惑に負けて前から欲しかったImaiHiroki(イマイヒロキ)「Tuvalu」をオーダー
 
 
これから今井さんに作って頂いて、完成まで約1ヶ月。
 
早く足を入れて歩くのが待ち遠しい。
 
 
 
さっきまでマシンガントークで盛り上がっていた迫田さんが急に静かになったなと思っていたら、

「あの今井さん、やっぱ僕もう1足お願いして、添田さんがオーダーしたのと同じ靴を赤く染めて作ってもらっていいですか・・・」

と、もう1足注文。。。
 
 
「あー、これですっきりした。いや、それ僕も欲しいな思って、お願いするかどうか、ずっと悶々としてたんですわ。これで今日は良く眠れますわ」と嬉しそうな迫田さん。
 
職人技は人に夢を与えてくれる。
 
 
 
帰りがけ、いつも今井さんのお母さんに「せっかく来てくれたんやからゆっくり晩御飯でも」という御言葉を頂きながら、「実家で母が準備して待ってますので・・・」と家路に着くのが毎度申し訳なく思う。
 
実は近くに温泉旅館があるそうで、今井さん、迫田さんと3人で「次は温泉に泊りがけで夜な夜な語らいましょう」ということに。
 
次回、とても楽しみだ。
 
 
今井さん、いつも本当にありがとうございます。
  

2007年04月21日

●吉岡宣善結婚式

相棒の吉岡が大阪で結婚式を挙げた。
 
 

  
 
吉岡との出会いは伊藤忠商事の同期として就職内定時だったので、かれこれ6年の付き合いになる。
 
そういえば、入社前の学生同士ながら、なぜか一度夜中に電話でビジネスについて長々と議論したことを思い出した。
 
 
入社後、吉岡は大阪本社だったのでめったに会うことは無かった。

でも自分が関西へ帰省する折や、彼が東京に出張してくる折に会って、酒を飲みながら語り合ったりしていた。

また、ちょうど同じ時期に会社から派遣されての米国留学だったので、大学の春季休暇を使って一緒にシリコンバレーに行ったりと、何かと付き合いがあった。
 
 
自分が伊藤忠商事を退職してZeel創業に動いてからも、出張で東京へ来るたびに会いに来てくれたりと、何かと気にかけてくれる存在だった。
 
そして去年、伊藤忠を辞めてZeelの執行役員となり、更に今年4月からはエクスドリームインターナショナルの取締役として一緒に新会社の経営に携わってくれている。
  
 
エクスドリームインターナショナル株式会社は、『21世紀の総合商社』として
 
①「日本」を国内外に発信する
⇒日本の素晴らしいもの(商品、コンテンツ、ITソリューション、ベンチャービジネス)を国内外でつなぐことで、日本の価値を日本そして世界の人々に伝えていく
 
②「e-Business」オーガナイザー
⇒複数の企業を巻き込んで事業を組み立てるオーガナイザーとしての機能を発揮し、価値あるビジネスを社会に生み出す
 
この2つを事業の軸にしている。
 
 
共に総合商社出身の人間であり、そもそも上記のようなことを実現するために伊藤忠商事に入ったという経緯がある。
 
これから本格始動して、価値あるビジネスを世の中に創り上げていく。
  

吉岡、頼りにしています。
 
これからもビジネスパートナーそして友として宜しくお願いします。 
 
 
 

 
結婚式には伊藤忠時代の同期が久々に集まった

左から洋平(モバイルファクトリー取締役COO)、自分、小太郎(フラクタリスト取締役CFO)、明男、吉岡、祐輔、神代、川西
 
 
こうして見ると出世レースからの脱落者が多数・・・。
 
[順位]
1位タイ・・・明男、祐輔、川西
[脱落]
吉岡(2006年1月退職)
神代(2005年9月退職)
小太郎(2004年5月退職)
添田(2004年4月退職)
洋平(2004年3月退職)

ダメだ、こりゃ。。。
 
 
しかしながら、皆ひとりひとり自分の道で夢の実現に向けて、着々と前進しているのは素晴らしい。
 
本当に良い同期に恵まれたと思う。
 
 
 

 
毎度お馴染ズッコケ3人組で花嫁を囲んで記念撮影
 
 
 
吉岡、亜紀ちゃん、今日は本当におめでとう。
 
末永くお幸せに。
 
 
追伸:
お二人の結婚の誓いに含まれていた家訓、第3条「年に一度の海外旅行を」に、私相当プレッシャーを感じております。
 
吉岡家のため、私精一杯頑張りますので、これからも宜しくお願い致します。
 

2007年04月10日

●加古川市(かこがわし)

今日、陣内智則さんと藤原紀香さんが婚姻届を提出しに加古川市役所を訪れたそうだ。
 
陣内さん、同じ加古川の人間として心からお祝い申し上げます。


我が故郷である加古川市は、単なる地方都市に過ぎず人口もそんなに多くないのだが、有名になる人が結構いて、特に最近は加古川市出身の人達が結構目に付くようになってきた。
 
例えば、高校(県立加古川東高等学校)の先輩だけでも、
菅原洋一(歌手)
住田裕子(弁護士:『行列のできる法律相談所』出演中)
・大村達身(元「くるり」のギター)
住谷正樹(レイザーラモンHG)
とか居たりして、

加古川市と範囲を広げると、
長谷川滋利(元メジャーリーガー投手)
陣内智則(お笑い芸人)
とか、

かの高視聴率ドラマ『ひとつ屋根の下』に出ていた
大路恵美(女優)
など。

あと最近よく見かけるのは『のだめカンタービレ』の
上野樹里(女優)
だろうか。
 
Wikipediaを見てみると、一覧で他にも沢山の人が載っていて、結構びっくりした。
 
 
TVやマスコミに出る人は確かに目に付き易いので、見えないところで他にも沢山、各々の道で頑張っておられる加古川市出身の方々が居るのだと思う。
 
  
同郷の方々が活躍されて故郷が盛り上がるのはとても素晴らしいこと。
 
自分も頑張って、いつか生まれ育った加古川市に恩返ししたいと思った。
 

2007年03月16日

●努力家(どりょくか)

高校の同級生である村上から「ひさびさに飲もうや。ご馳走するわ」と誘われ、今日は渋谷飲み。
 
予約してくれていた店は、かの若乃花のお店『ChankoDining若』。
 
気にはなっていたが、なかなか機会がなく、前から一度行ってみたいと思っていたお店。
 
 
若乃花は現役時代も体格に恵まれないながらも横綱にまで登り詰め、相撲を引退してからもNFLの世界に飛び込んだりタレント活動を行ったりと、挑戦と努力の人だと思う。
 
今も新しいコンセプトで次々とお店をオープンさせており、ビジネスパーソンとしても努力家。 
 
 

 
村上(職業:経営コンサルタント)
 
 
村上は高校で一度も同じクラスになったことは無いが、何故か近い存在だった。
 
高校生ながら当時アパレル業界に興味があったようで、皆が部活をしているのを横目に放課後はバイトして自己投資の資金作り。

でありながらも、サッカー部やバスケ部など自分の所属していない部活の輪の中に居たり、違うクラスの輪の中に居たりと、交友も絶やさないナイスガイ。
 
 
大学卒業後はアクセンチュアに入り、3年ほどで別のコンサルティングファームから誘いを受け転職し、コンサルタント街道まっしぐらな男。
 
28歳にしてマネージャーランクということなので、順調に登り詰めている様子。
http://www.consultantnavi.com/archives/50387290.html
 
 
「自分の道を見つけ、そして誰よりも努力する」それが大切。
 
『Chanko Dining若』でちゃんこ鍋を食べながら村上と話をしていると、このことの大切さを再認識させられたような気がする。
 
 
しかし、「ここのウニ刺し、まじウマいねん。いっぺん食ってみぃ、ほら」という村上の言葉の通り、『Chanko Dining若』のウニ刺しはかなり美味しかった。
 
村上さん、今夜は本当にごっつあんです。
 

2007年02月26日

●アメリカ出張記(第4日目) - 企業環境

今日は朝一でハイウェイを車で飛ばしSan Mateoへ向かい、米国のVCであるZenShin Capital Partnersの川口さんとBreakfast MTG。
 
川口さんは日本の某大手通信企業の出身で、スタンフォード大にてMBAを修了の後、シリコンバレーにてスタートアップ企業の創業を経て、現在はベンチャーキャピタリストとしてZenShin Capital Partnersの経営に携わられている。
 
ZenShin Capital Partners社は日米双方向での「VCの企業投資」および「ベンチャー企業のグローバル展開」を軸にして、かの有名な米国のトップVCであるKleiner Perkins Caufield & ByersSequoia Capitalとも共同で投資をされているVC。
 
川口さんからは、米国のVC業界事情から最近投資を行った米国ベンチャーのお話や、シリコンバレーの日本人(起業家・ベンチャーキャピタリスト・ITエンジニア)のお話を色々と聞かせて頂いた。
 
日米のベンチャー企業やVCにとって、双方の国への進出は世界における市場規模からして当然視野に入れたいマーケット展開であると思う。 

米国ベンチャー企業の日本展開、そして日本ベンチャー企業の米国進出、こういった面で今後いろいろと御一緒させて頂けそうな気がした。
 
 
 
Oracle(オラクル)本社
 
お昼はORACLE本社を訪問。
 
 
Oracle(オラクル)本社
 
ラリー・エリソン(創業者で会長兼CEO)好みの権威力満点の社屋
 
 
 
社内を歩き回って思ったのが、「インド系、中華系の社員ばかり・・・」ということ。
 
ITエンジニアの需要と供給の逆バランスは万国共通のはずだが、米国の強さは魅力的な大学(=世界各国から優秀な学生が集まる)と魅力的な先端ビジネスと環境(オフィス環境や報酬)を持つ企業(=留学してきた学生がそのまま残って就職する)があること。
 
 
残念ながら、こうした人材面での好循環が我が国日本では米国に比べて遅れている。
 
この流れを人為的に作ることが出来れば社会的に意義があると考え、渡米する2/22に株式会社ヒューマネイジア(英文社名:Humanasia Co.,Ltd/中文社名:人財亜細亜有限公司)を設立した。
 
当初はITエンジニア分野(将来的には医療・介護分野)において、アジア各国の優秀な人材を日本の企業に繋いでいきたいと思う。
 
 
 
オラクルの社内環境は本当に素晴らしいと思う。

日本には産休(産前・産後)休暇や育児休暇という有名無実に近い制度があるが、「休む人に給料を払うより、思う存分働いてもらってパフォーマンスを出してもらい、それに見合った沢山の給料を払う方がWin-Winだ」という合理的考えもあるのだろう、オラクル社内には託児所があるので育児休暇を取る必要がない。
 
また、「ここは大学か!?」と思うばかりのジムやプール、そしてコート(バスケットボールやテニス、ビーチバレー)があり、体を動かしたくなったら一汗かいて(シャワーも完備)、仕事に集中することが出来る。ジムでは朝から夕方まで1時間ごとにセッション(ヨガ教室など)が設けられていて、自由に受けることが出来る。
 

 
中庭の屋外プールとビーチバレーコート