今日、第2子が生まれた。
女の子で、命名「ゆうい」。
長女「あさひ」は3歳8ヶ月になり、自分のやりたいことをやりたいようにさせて育てているので、自由奔放極まりない。
かつて保育園では、靴を「自分で履く」と言い張って先生を困らせ、避難訓練で園庭に出るのに20分かかって、一人だけ逃げ遅れたという伝説の持ち主。
周りの友人からは「おまえそのままやな・・・」と言われる。
かといって甘やかしているわけでもなく、人様に迷惑をかけることをしたり、筋の通らないわがままを言ったりした時には、星一徹並みの父親を演じている。
最近、よく子供がらみの事件を報じるニュースが多い。
子供を取り巻く世界がおかしいというより、子供を取り巻く大人の世界に問題があるように思う。
『国家の品格』でも触れられているが、子供に対する大人の態度が一昔に比べて明らかに変わった。
保育園に迎えに行くと、先生から「申し訳ございません!」と謝られることが多々ある。
怪我をした。友達と喧嘩して噛まれた。等々・・・。
遊べば転んで怪我もするだろうし、友達と喧嘩すれば噛まれたり髪を引っ張られるに決まっている。
そもそも、それが“子供”という人種だと思う。
こちらからすると何を謝られているのか、話を聞いてすぐに分からないことが多い。
理由を聞いて、「いいじゃないですか、そんなことくらい問題ないです。むしろ、生意気なこと言ったらビシバシしごいてやって下さい」と言うだけだ。
これは保育園に問題があるのではなく、過剰にクレームを言う親が最近増えていることに問題があるのではないかと思う。
学校でのいじめ自殺問題に関しても、学校の体質が槍玉に挙げられるが(実際、学校に責任や問題が無いわけではない)、一番の問題は親にあると思う。
そこまで子供が思い詰めている状況で、救ってあげるどころか気づいてもいない“親の無関心”と、その責任を学校に擦り付けることに現れている“親の無責任”に一番原因がある。
そのわりには子供に対して「こうしなさい」と言ったり、「こうなって欲しい」という思いから、受験を意識して私立の幼稚園や小学校へ入れたがる人が増えているような気がする。
本末転倒ではないだろうか。
親の役割というか責任は、子供がやりたいことが出来る環境を整えてあげ、道を外れそうになったら軌道修正してあげることだと思う。
そして人間として大切な心遣いを教えてあげること。
自分は子育ての経験者でもプロでもないが、そう思って子供に接している。
昔、自分が子供のころは悪さをすると、近所のおっちゃんやおはちゃんからの鉄拳を受けていた。
通学路でピンポンダッシュをした瞬間に、玄関からおばちゃんが出てきて家の中に引きずり込まれ、見知らぬ関係ながらその家の台所で説教を受けたこともある。
怒られた後、お菓子とジュースを出してくれたことが今でも記憶に残っている。
いいものはいい、悪いものは悪い、はっきりと言える人が少なくなった大人社会にこそ、今の子供社会の弊害の原因があるのではないだろうか。
ふとそんなことを思いながら、これから自分の子供が飛び込んでいく社会への不安と、なお一層の親として(そして大人として)の責任を感じた。
とりあえず、まだ2人の親。
「子供は多ければ多いほどいい」と周りに公言しているので、橋本弁護士(7人)やグロービス堀さん(5人)に負けないくらい子供は欲しいし、何らかの理由で親の愛情に恵まれない子供(日本人だけでなく世界から)も余力があれば引き取って育てたいと思う。
たぶん酒を飲みながら星一徹になっているだけだが、やりたいことをさせてあげ、悪いことは悪いと教えてあげればそれでいい。
子供に対する虐待は絶対に許されないことだが、躾のための節度ある体罰は必要だと思う。
その節度が分からない親や教師に問題があるのではないだろうか。
自分が小学校~中学校~高校のころは(大学では流石に無いが)、普通に先生から拳骨を受けていたし、それに対して愛情を感じなかったことは無い。
自分を鍛えるためにしてくれていたのだと思う。
まだまだこれから自分も親として、そして社会で責任ある大人として、更に自ら成長していかなければならない。